セブ島移住者による交流会のブログ

セブ島移住者による「すみれ会」及びロングステイヤーの集い「木曜会」の活動状況を発信して行きます。

シニアの生活 その7・・・クモ膜下出血発症

自宅での介護を妻と介護士とメイドの3人でやりくりしていた矢先の7月17日、
二度目の脳卒中(クモ膜下出血)を発症しました。


午後4時頃、妻から携帯電話に連絡が入った。
「Kさんの息がおかしいから・・・救急車を呼びました」と。
職場からタクシーで自宅へ向かう途中で救急車を発見したので、
追いかける途中で妻へ連絡すると
「セブのチョンワへ行こうとしたけど看護士が緊急だからマンダウエのチョンワへ
向かってます」と。
あの病院だけは行きたくは無かったが、仕方なく了解した。


病院の緊急病棟でK氏を見て、その症状の重さをすぐに読み取れた。
K氏は、連続してしゃっくりの症状を繰り返していたのだ。


緊急治療室にもかかわらず、相変わらず治療を始めようともしなかった。
体温と血圧を測っただけで、心電図などのモニタリングの設置もしない。


妻に「あのシャックリはただ事ではないから、原因をすぐにチェックさせなさい」と。
妻:「おかゆを食事中に咳き込んで息が荒くなったんだけど、多分、別のところに
入ったんじゃないか・・・と」
私:「だったら、看護士にそれを説明しなさい」


こんな連続したしゃっくりは見たことがなかった。
他の原因ではないかと思案したが、ドクターが居ない病院では無理だ。


そうしている内に、女医が現れた。
しゃっくりの原因を確認させると口からチューブを胃まで到達させ、
食べ物を吸引し始めた。
胃より、肺に入ったからじゃないかと女医に進言したが、聞いては貰えない。


後で調べてわかったことだが、脳梗塞やクモ膜下出血などでも、副交感神経を
刺激してしゃっくりが繰り返されることがわかった。


その後、既に3時間が過ぎてからワンパターンの検査が始まった。
X-ray(レントゲン)とCTスキャン検査だ。


脳神経の専門医は「今日も居ないのか」と聞くと
「明日から海外旅行なので、忙しい」とな。
この病院では任せられないと判断し、セブ・チョンワ病院へ移転する手続きを
お願いしたが、「この状態では危険です」と言われた。
確かに私でもそのように思うが、設備だけが立派で三流の医師しか居ない病院に
高額な治療費を請求される身にもなって欲しいものだ。


看護士のA嬢に頼んで、セブ・チョンワのB医師(大ボス)に来てもらう様、
連絡を取ってもらうと、他の病院を巡回中なので直ぐには来れないが、今日中に
来てもらえることがわかった。


2時間ほどして、やっとCTスキャンの結果が出た。
やはり、血管の破裂によるクモ膜下出血だ。右脳全体に血液が広がっていた。


前回の入院中から退院後も右首筋から頭への痛みを訴えていたのは知っていたが、
自宅療養中に治るとものと考えていた。まさか、こんなに早く二度目の脳卒中を
再発するとは思ってもいなかったのだ。


午後9時頃、明日から海外旅行に出かける予定の医師がまたもや私服で現れた。
「だから言ったでしょ。退院を急いだから・・・」と皮肉さえ言われた。


心の中では「何を言ってる、お前なんかに任せられるか?患者が心配なら旅行を
取りやめるのが医者だろうに」と。


そして、午後11時過ぎ、B医師が巡回を終え、来てくれた。
渋滞中にCTスキャンをスマホで確認していたので、既に状況が理解できていた。
「今は、脳全体の50%(右脳)に出血が見られるが、このあと左脳へも出血がみられた場合、緊急手術をする必要がある」と。
私:「もし、手術の必要がある場合は知らせて下さい。
これ以上の治療費が払えません。ちなみに手術は幾らくらい掛かりますか?」
「他の医者だったら、1.5ミリオン~2ミリオンだけど、あなた方の事情を
知っているので、30万ペソでやります。プロフェッショナルフィー(医師の報酬)は
請求しません」と言ってくれた。


そして、この後、またセブ・チョンワブ病院へ転院するにしても、既にお金が無いことを
相談すると「ビセンテ・ソット・メモリアル・メディカルセンター公立病院」を紹介してくれた。
B氏は、この病院も巡回しており、医療機器もチョンワ病院と変わらないらしい。
しかも、部屋代が無料で、薬代だけ(それでも1日あたり1万5千ペソ)支払えば
いいらしい。
信頼できる医者とは、こういう人のことを言うのだろう。


明日の午前中には、ビセンテ・ソットへ転院できる手配をして貰う約束をした。


そして、緊急治療室からICU(集中治療室)へ移されたのが、午前1時過ぎだった。


介護士のA嬢とアパートの隣人(オカマ)が付き添い役として、病院に宿泊してくれた。
フィリピンの病院では、集中治療室でも必ず付き添い人が居ないといけないシステム
らしい。
私は、疲れるから必要ないと反対したのだが、妻やA嬢がどうしても譲らないのだ。


今回の入院で、すみれ会で預かっているK氏の遺言状を開封する様、事前に
総務理事に連絡していたので、翌朝10時にすみれ会の会長ほか3人と待ち合わせした。


遺言状には、危篤の場合に連絡して欲しい人の名前が書かれていたので、
K氏の携帯電話から連絡をしてみましたが、応答がなく、留守電にメッッセージを
残しましたが、その後の応答もありません。
また、経過を見ながら連絡をしなければなりません。

前回の入院中や自宅での介護中、すみれ会会員の方がたくさん見舞いにきていただき、
K氏の人望の厚さがわかります。
早く意識が回復することを願うばかり・・・です。つづく・・・

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