セブ島移住者による交流会のブログ

セブ島移住者による「すみれ会」及びロングステイヤーの集い「木曜会」の活動状況を発信して行きます。

セブ島・タリサイ米軍上陸記念日

セブ市の南に位置するタリサイ市の海岸にはAmerican landing monumentがあり、毎年3月26日は「上陸記念式典」が催され多くの地元の人で賑わいます。
この日は大東亜戦争中、アメリカ軍のアメリカル師団を中心とした加・豪連合軍がセブ島に上陸を開始した日になります。



式典のタイトルからも分かるように、上陸記念はアメリカ軍がフィリピンを日本軍からの解放したという戦勝国側の歴史史観によってとり行われます。
日本は敗戦国ですので、肩身の狭い参列になるかと思いきやフィリピンの人々は快く歓迎してくれます。


式典にはフィリピンの政府関係者、軍関係者、元ゲリラ兵、そしてアメリカと日本の関係者も参列し、各国の国旗掲揚、国歌、弔銃射撃、フィリピン軍のパレード、スピーチなどが行われ、この海岸で亡くなった両軍の勇敢な兵士と犠牲になった多くのフィリピン人に哀悼の意を捧げ、永遠の平和を願い交流を深めています。


そしてクライマックスは、日本軍 対 アメリカ軍の模擬戦が本物の戦闘さながらに行われます。轟音とともに沖からゴムボートがやってきて、仕掛けた火薬があちこちで爆発。破片やら水しぶきやらが観覧席まで飛んできます。安全を確保しながら見るこのショーはなかなかの迫力です。


地元の人にとっては年一回のビッグイベントなのでしょう。
セブ島は日本軍のビサヤ諸島防衛の中心拠点で、兵力14,500人が置かれていいました。
1945年3月26日早朝、タリサイ市沿岸に米海軍上陸用艦艇20隻余りが現れます。 午前7時、米・加・豪連合軍約16,000名の空海両面の一斉射撃が始まりました。海岸線に対する艦砲射撃、そして空からはグラマン機による波状攻撃で、それまでは静かであった市街は一瞬にして火の海に包まれました。 日本軍は僅か2,000名の守備隊ながら連合軍との激戦は夕刻まで続き、双方共に相当の被害を出して第一日目は暮れました。
セブ島諸隊は大東亜戦争終戦の8月頃まで戦いつづけました。

いまから73年前に起こった悲しい出来事により、我々の父の世代の日本人青年が、今まさにこれから桜が日本各地で咲き誇るこの時期に、日本に居る両親や妻や子供を思いつつセブ島に散った若い命の上に、私たち日本人セブ在住者の平和な生活があることを忘れてはならないと思います  (合掌)

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